数ヶ月前に、大学時代の友達数人と食事をしました。


近況報告やら、昔の思い出話やらで、
オレ、オマエに戻って、楽しい時間を過ごしました。

みんな学生時代は司法試験の勉強をしていた仲間です。
でも、最終的にその夢がかなったのは数人。
あとの連中も、今ではそれぞれの分野で頑張っています。

そんなときはいつも、
みんなの元気な姿に安心しながら、
いっぽうで、自分はこれでよかったのかなと自問しつつ、
複雑な思いで、帰りの電車に乗っています。


私はかねがね、
人生というのは山登りみたいなものだと思っています。

若い頃に、それぞれ目標とする山を決めて、
その頂上を目指して登っていきます。

麓にいるときは同じヒヨッコ。

それがこの年になると、みんなそれぞれの山の八合目あたりまで来ていて、
お互いの間には深い谷が広がっています。

今さら、引き返してやり直すことはできません。


私も思い返せば、これまで、
さまざまな人生の岐路がありました。

進学、受験、就職、結婚、転職。。。
その都度悩んで、どちらかの道を選んできました。
そして、その延長線上に今の自分があります。

友達が登っている、あるいはほとんど登りきった山を遠望しながら、
どっちの人生がよかったかな。。。

あのとき、あっちの道を選んでいたら、
今ごろ、どこでどうしていただろう、
なんて、考えることがありますね。

皆さんはどうでしょうか。


という前フリをしておいて、こんな話です。


何年か前の歌会始で、皇后陛下が、

「かの時に 我がとらざりし 分去れの片への道は いづこ行きけむ」

と、詠まれたことがありました。

ドキっとしましたね。

これは、
中山道と北国街道の分岐点である追分宿で詠まれた歌とされていますが、
真意は絶対に違うはずです。

はじめて民間から皇太子妃になられて、
どれほど大変な思いをされてきたことか。

あんな雲上人でもやはり、生身の人間。
「やめとけば よかったわ」
なんて、思われることも一度や二度はあったのでしょうね。

でも、そんな心の内は誰にも打ち明けられない。

あの美しかった方が、あれだけ老けてしまわれたことを見ても、
そのご苦労は察するに余りあります。

こんな歌をサラっと公表される皇后さまの勇気に痛く心をうたれるとともに、
今さらながら、過ぎ去った時間の重さにため息が出てしまいます。


そんな高貴な人生とは比ぶべくもありませんが。。。

私には、この道がベストだった、

ひと息ついて、また頑張ろう。。。

なんてことを、いつもほろ酔いの電車で考えています。